『雨と夢のあとに』

柳美里原作ということで『雨と夢のあとに』のドラマを見て、いっそう原作を読みたいと思った。

はじめての図書館

しかし訪れる本屋には柳美里の本すらない。amazonで検索したら、あったけど、マーケットプレイスのものだけ。「紀伊国屋」とか「ジュンク堂」とか、聞いたことのある大きそうな本屋の在庫検索システムを使ったけれど、どこにもない。しかも「重版の予定なし」とある。

中古を買うくらいなら、と図書館の在庫検索システムで検索した。確かにいくつか取り扱っているけれど、あまり近い地域ではない。しかし、あれ、どうやら大学の、大きいキャンパスの方の図書館にはあるみたいだ。

大学の図書館のホームページに、貸出予約システムがあったので、学籍番号でログインしてみる。タイトルを入力して、表示された情報を確認し、予約を済ませた。受け取りが理系キャンパスの方になっていた。

次の日、メールが来た。もう貸出が可能とのことだった。一日で本がキャンパスを越えた。二日後、カウンターで、慣れない私は、「本を予約したんですが」と学生証を出した。司書さんは本の名前も何も聞かず、学生証を手元の機械でスキャンして、「一冊きてますね。少々お待ち下さい」と奥へ引っ込んだ。すぐにまた現れ、「こちらでよろしいですか」と、私の予約したその本を手に見せた。はいと言うと、その本を別の機械にスキャンさせて、「28日までです」と私に手渡した。

すごい!本が、私の読みたい本が、私の手元にきた。ペンもハンコもいらないんだ。中学校から一度も図書館を利用していないけれど、小学校の頃は、図書カードに名前を書いて、司書さんにハンコをもらって・・・なんてことをやっていた気がする。本を借りる度、その図書カードの名前欄を見るのが楽しみでもあった。シリーズ物を借りると、私の前に並ぶ名前は見覚えのあるものばかりだし、逆に名前が全くないと、これマイナーなのかなぁなんて思ったりした。

私の手元にきたその本は、きれいにコーティングされていて、バーコードがついていた。

あらすじ

この本のあらすじはこうだ。母親のいない家庭で育った小学生の娘・雨は、父・朝晴と二人で幸せに暮らしていた。ある梅雨の日、朝晴は蝶の採集という趣味のため訪れていた海外にて、不慮の事故により命を落としてしまう。しかし待ち続けた雨のもとに朝晴は帰ってきた・・・そう、父は死してなお娘への思いを断ち切れなかったのだ。

ドラマと原作の違い

ドラマは全10話で、上記の基本設定は変わらない。しかし雨は中学生で、朝晴は心の通じ合う人と同じ幽霊には姿が見える。原作ではクラスメイトだった北斗という男子は、ドラマでは面倒を見てくれるジャズバーの夫婦の息子で、浪人生だ。朝晴が幽霊であることは雨には隠しているため、見える人は見えない人が現れる度に、なんとか間を取り繕う。

原作ではジャズバーは出てこないし、朝晴が幽霊として姿が見えているのかどうかも、わからない。物語は雨の視点でつづられているため、朝晴の姿は確かにあるのだが、おそらく周囲からは認識されていない。

ただし、隣に住む女性・暁子は朝晴と会話することも、触れ合うこともできる。これはドラマでも同様だ。暁子は母親のように二人の面倒を見てくれる、美しい女性。ドラマでは、朝晴と雨にとっては頼りになるヒーロー的ポジションだ。

主人公・雨

雨は、普通の小学生。物語も、言ってしまえば小学生の作文のよう。しかし、「うわっメリープだ!」と聞いて、どれくらいの人がそのキャラクターの愛らしさを想像できるのだろう。「ポンポネットのスカート」と聞いて、どれくらいの人がその形や色を想像できるのだろう。この作品は、決して読みやすくはない、と思う。思う、というのは、私にはすんなりと読むことができたからだ。流し読みのできない私には、読みにくい文章の方が心地よいのかもしれない。しかし何故柳美里は、こんなにも「小学生の女の子」になれたのか。なるほどあとがきに、小学生の女の子に取材したという記述があった。

ドラマが面白かったから、と原作を読むと、確かに痛い目にあう。インターネットで検索すると、レビューは批判的なものばかり。確かにドラマは、色んな幽霊が出てくるし、笑いあり涙ありの、いかにもウケのよさそうな展開だ。しかし原作は違う。面白いことなんてほとんど起こらない。でも、だからこそ、朝晴の死が、ものすごく巨大な事実として迫っている。少しずつずれていく日常と、それに抗ったり、順応したりして、日々を進む少女。

隣人・暁子

個人的には、暁子の存在がとても印象強かった。以下ネタバレになるので、読んだ方や読む予定のない方は白文字を反転させて下さい。

暁子はドラマでは、ただの隣人として登場し、周囲ともうまくやりとりしている。しかし物語終盤で、暁子は数年前に亡くなっていたことと、隣はずっと空室だったことが明らかになる。そこへ愛していた男性が、新しい恋人を連れて、戻ってくる。暁子は、死ぬ間際まで、ずっと彼の帰国を待っていたのだ。でも、彼は帰ってこなかった。暁子は死んだ。それでも待っていた・・・終盤で暁子がベランダから侵入?してくるまで気づかなかったので、私にとっては結構な衝撃だった。

原作では、まぁドラマを見ていたから知っていたというのもあったけれど、暁子はどこか現実感のない存在。特に周りとのやりとりもないし、気がつくと部屋にいる。しかし、隣のベランダから度々侵入してくるゴキブリが描写される度に、隣の部屋の様子を想像してしまい、ぞっとした。

こちらでは暁子は恋人と別れておらず、男性が音信不通の彼女の部屋に訪れたところで彼女の死が発覚する。このときの描写がすごい。家中ネズミやゴキブリや虫だらけで、ただよう腐臭に男性は嘔吐連続。肝心の暁子はウジにまみれて原型を留めていない。

暁子は死ぬ前に手紙を書いていた。投函したのは、死んだあと、かわりに頼んだ雨によって、だった。だから日付は死ぬ前なのだが、男性の元へ届いたのは大分後になる。

暁子が恋人である男性に宛てた手紙には、彼女の心境が綴られている。暁子は、男性を愛していた。男性も、暁子を愛していた。しかし暁子は、とらわれていた。男性の一度の過ちに、とらわれていた。男性が他の女性と体を重ねた、その事実を、彼女は受け入れようとしていた。忘れなかった。本当に愛し合っているのなら、受け入れなければいけない。彼女は男性がその女性とどんな行為をおこなったか、細かく聞き出した。女性が男性の性器を口に含んだこと、男性に突かれた女性が喘ぎ声をあげていたこと・・・暁子はそれらを受け入れようとした。しかし受け入れようとすればするほど、とらわれる。眠る度にその夢を見る。男性の隣にいても、暁子のまぶたの裏には、女性の上で腰をふる男性があり、男性の下で身をよがらせる女性があった。でも暁子は忘れようとはしなかった。一年間も。そして男性は暁子の異常に気づかない。だってこの一年間ずっとあの出来事については触れてこなかったし、もう結婚式場もおさえてあるし、招待状だって出したんだ、だからもう何も問題ない、そう思っていたようだ。暁子の死をほのめかすような手紙を見ても、彼女は強い人だし自殺なんてしない、と考えている。けれど暁子は、忘れるという逃げ道を選べなかった。自分が自分であるために。

事実と夢の狭間で

暁子の心理描写には、自分と重なるところがあった。本当に愛し合っているのなら、受け入れなければいけない。だから辛い事実だって、相手と共有するために、徹底的にそれを描写してもらう。忘れることやごまかすことは悪であり、事実を受け止めるのが正義なのだ。自分は受け止めることができる。受け止められないなんてことはない。知らない方が幸せなこともあるというのなら、幸せなんていらない。自分は受け止めることができる。受け止められない自分なんて・・・

でも、暁子を見ていて、「本当に、受け入れられないことは、よくないことなのか?」という考えが浮かんだ。忘れてしまうことは、ごまかしてしまうことは、そんなに悪いことなんだろうか。「受け入れられないこと」を受け入れることだって、できるんじゃないだろうか。

読んでいたときは、物語での暁子の役割が、ただの花としてしか捉えられず、正直雨と朝晴の物語には関係ないんじゃないかなぁって思ったのだけれど、こうして書いていると、事実を受け入れることの自由に戸惑い迷う雨と、事実を受け入れることの強迫に気が狂ってしまった暁子は、対称的な存在だったのかもしれません。

本を読むことへの苦手意識

私は本を読むことが苦手である。

本が好きそうだ、と言われることは少なくない。だが、苦手である。その苦手意識について自分なりに思うことを、何人かの親しい人には話していたことではあるけれど、文書化したことはなかったので、こうして記事にしてみた。

書いていて気分が悪くなってきたので、読んでいても気分が悪くなるかもしれない。だから、あまり読むことをお勧めできない。

小学生の頃は、確かに図書館を利用していた。青い鳥文庫の、「クレヨン王国」シリーズをよく読んでいた。中でも「月のたまご」なんかは8巻くらいまであって、かなりの長編であったが、それでも読み切っていた。

いつからだったろうか、字の一つ一つが気になりだした。例えば「本を読む」という文章があるとする。それが目に入ると・・・横に棒が一本あって、でも右端が少し尖ってて・・・ううんでもこれは横棒だ、それで次に縦棒があって、そうしたら左のはらいと右のはらいがあって・・・あとはなんだか微妙なところに横の棒・・・それでこれは「ほん」と読む、あれ、本当にこれはあの「本」でいいのか?横に棒が一本あって、右端が少し尖ってて・・・そんなことを考えている内に、自分が最初の一文字目から文章を読み進められていないことに気づき、焦り出す。おかしい、文章っていうのはもっとこう、声に出すように、あるいはそれより早く、読み進めることができるはずだ。そもそも文章より上の階層に文脈というものがあって、いつまでもこんな風に字の一つ一つにとらわれてしまっていては、やっと一文の意味が理解できたところで、また新しい一文を理解し、そしてそれら文の意味する文脈を感じ取らなければならないのだ。気が遠くなる。そもそも一文理解したところで、進んでいくにつれて本当にその一文を理解したのかどうかが不安になり、また戻って読み直す。こんなことの繰り返しで、焦りはつのるばかりで、本というか、文字を目にするのが怖くなった。

といっても常時そういう状態であったわけではなかったはずで、一応学校の勉強にもちゃんとついていけていた。ただ、今でもしっかりと覚えていることがある。文章の内容までは思い出せないので、そこらへんは適当に補足して、思い出しながら書く。中学の試験期間、理科のテスト前日だった。私は自分のノートを見返そうとして、「2.体のしくみ」という最初の一行にかれこれ30分もとらわれていた。進めない。「2」って、何の「2」?「1」の次だ。そして、「.」がある。区切りの「.」。そして・・・「体」・・・「の」・・・「し」・・・「く」・・・いや、「しく」・・・いや、「しくみ」・・・えっと、「2」だ・・・「2」・・・そして「.」・・・いや何やってるんだ、だってこれ題名じゃん・・・試験関係ないよ・・・いやでもじゃあ試験に関係あるところってどこ?二行目は「2.1」・・・またタイトルで・・・三行目は「ヒ」「ト」「の」「臓」「器」・・・えっと、「2」で・・・「体」・・・「の」・・・また最初からやり直しだ・・・進めない・・・そうこうしている内に時間ばかりがすぎ、焦りは増していく。試験は明日なのに、勉強なんて全然できていない。字が読めない。どうして?普通のことが、当たり前のことが、できない。どうして?お菓子の賞味期限も、はがきの宛名も、うまく読めない。字を見るだけで思考がぐるぐるして、苦しくて、気が狂いそう・・・

多分、情報量を過剰に受け止めていたのだと思う。だからカラフルだったり、図が挿入されていたりすると、余計に辛かった。字に色がついたりなんかしたら、余計に考えることが多くなる。図は字でない線が多いから、情報量はさらに増える。社会科の資料集なんかは、本当にひどかった。それから、フォントも影響していた。教科書体や明朝体・ゴシック体は最低限の字の形を成し得ているものなのでまだいい。しかしポップ体だとかは、太さも変わるし線の向きはバラバラだしで、本当にひどい。ポップ体は配布プリントの題字に多かった。どういうわけか、学校の先生はやたらと題字にポップ体を使いたがる。

前述したように常時そういう状態であったわけではなかったはずだが、それでも確かにそういう状態にあったことが頻繁にあった。日常生活で目にする文字すらうまく読めないのだから、本からはなおさら離れていった。中学のときの図書館利用回数は0。高校のときも図書館利用回数は0。「好きな本は?」と聞かれても「本は読みません」。「じゃあ漫画は?」と聞かれても「読みません」。漫画も字と図が織り込まれているのだから、同じようなものである。

病気なのかどうかは、わからない。たまたま字の認識が困難だっただけなのかもしれない。しかし、置いてあるものは机や部屋に対して直角でないと落ち着かないだとか、飲み込んで窒息するんじゃないかと怖くて大きな飴が舐められなかったりだとか、他にも思い当たる、几帳面さを通り越した、強迫観念はあった。ただ、高校生のとき、直角や確認の癖は「気にしちゃだめだ!」と意識することで、ある程度矯正に成功した。それに伴って文もなんとか、多少は読めるようになってきた。それからパソコンの画面も、「文字を読む」という意識があまりないからか、ある程度は読むことができる。それでも一冊何かを読もうとすると、どうも躊躇してしまう。読み始めてみると自分が負担というかストレスを感じているのがよくわかるし、また以前のようになってしまうのが、怖い。

プログラマは本をよく読む、ようだ。そしておそらくその「読む」というのは、一字一句という意味ではない。拾い読みでもいいときだってあるのだと思う。でも私にとって、拾い読みはとても難しい。本に表されているそのままの情報量を受け止めることでやっとなのだ。

それでも、少しずつ、できることはやるようにしている。柳美里さんという作家の本は何故か私には読みやすく、読み切る度に「一冊読めた」という達成感があるので、恐怖も薄らいできているように思う。

今はまだ、勉強するときは、ググったり人に教えてもらったりしている。でも、いつか私も、一人で本を読めるようになれるといいな、と思う。オライリーなんて読むことができたら、それはもう克服といえるでしょう。

チームラボインターン

大変今更なのですが、2月の1日から15日まで、チームラボ株式会社インターンシップをさせていただきました。そのときの出来事や自分の思ったことを、思い出せる限りで記してみたいと思います。

昨年秋に@tksさんに声をかけていただき、適当な履歴書とスキルシートをメール送付、それからCTOの田村さんと@dolpenさんとの面談を行いました。大学院でも1年生はまだ授業があるため、実際は長期休みが始まる2月から。また、就活もあるので短めに2週間とさせてもらったので、課題に取り組むという形になりました。なお、インターンというと、何人かがインターン用のプログラムをこなす、いわゆる「お仕事体験」みたいなものも多いかと思いますが、私の場合は個人プレーでした。

初日

人事の方も田村さんもたまたま不在で、メンターになってくれたらしい@dolpenさんから課題説明を受けることになったのですが、
d「かなりチャレンジングな課題です」
私「はい!」
d「Node.jsでチャットサーバを作ります」
私の頭に色々なものが駆け巡りました。(のーど・・・JavaScriptの何かだっけ・・・JavaScript書いたことないけど大丈夫か?そもそもサーバとかチャットって、つまり通信するんだよな・・・ポートとかパケットとか、なんか名前は聞いたことあるけど・・・)でもこれは、インターンの課題、なのです。別に私ができるとわかっていることをやりにきたわけでは決してないのです。だからここで「できません」と言ってもこの場合意味がない、と思ったのです。
私「はい!」
d「チャットっていうか、メッセンジャーみたいなものみたい。任意のユーザを選んで、1対1での会話ができるようにって感じかなぁ」
私「はい!」
d「で、データベースにはredisっていうNoSQLを使います」
(NoSQL・・・そもそもSQLすらよくわかってないのに・・・それがNoってどんな状態だよ・・・)でも。
私「はい!」
d「で、仕様書を書いた方がいいと思うんだけど、田村さんいないから・・・うーん・・・とりあえず環境構築から始めましょう」
案内されたデスクに置かれた貸し出し用のDELLのノートパソコン。OSはWindows7。「node.js」でググって、Windows用のインストーラを使う。あとで聞いた話だと、nodeをWinで扱うのは色々と面倒らしいが。サンプルを動かして、そのソースを見て、を繰り返す。結局初日は特に指示もなく、これで終了した。仕様書も、明日以降ということにされた。

始終頭に浮かんできていた「これでいいのか?」が積もっていき、居心地が悪かった。こんな、ググって調べながらのアプリケーション制作なんて、家でもできるじゃないかって、初日から早速嫌気がさした。

だが、ただでは転ばぬ。作業だけではなく、さまざまな気づきもあり、また心がけも生まれたのです。

  • 自主的に進捗や判明している範囲での作業計画の報告を行おう、そのために作業をこまめに記録しよう(特に失敗した軌跡は詳細にしておき後でアドバイスが得られるように)
  • 他のプロジェクトの仕事の進め方を一日中間近で見ることができるということは、ここにいないとできないことだ
  • 仕様書は書き方のフォーマットがあるかもしれないけど、きっといきなり書くよりは何かしら構想があった方がいいだろうから、現時点で自分が想定するシステムについての機能一覧、画面遷移やユーザシナリオをノートに書いておこう

翌日

やはり田村さんには会えなかったのですが、仕様書を書くことに。フォーマットは「適当」と言われました。なんだ適当な仕様書って・・・と思いながら、自分が昨日ノートに書きながら想定していたシステムの機能一覧、必要なページとその役割、いくつかのユーザシナリオをテキストでまとめました。しかしどうやらこれでよかったみたいで、この仕様書は中間発表の際に田村さんに見せたときもわりと好感触でした。

しかし、やはり要件とうか、需要がわからないと動きにくい。今回のようなメッセンジャーの場合、果たして友達とのやりとりを行うものなのか、それとも会議録みたいに使うのか、それで機能の作り方も全然違ってくると思うのです。ちなみにこの時点では「なんとなくメールを打つほどでもないような、待ち合わせ決めとかに使う」ような感じを想定することにしました。

結局インターン中は田村さんとはほとんど話せず、だからこそ開発におけるコミュニケーションの大切さを思い知ったというか、やっぱり何が必要とされているのかっていうのを、マネージャーなりお客さんなりと、共有したいですね。じゃないとなんだかモチベーションが宙吊りになってしまいます。

体調管理と生活リズム

私はときどき貧血みたいなのを起こして倒れてしまうことがあったりで絶賛通院中なのですが、当初、そんな私が果たして朝から晩まで二週間ちゃんと稼動できるのかどうかがとても心配でした。でもまぁ、だめだったらだめだったで仕方ない、でもできるだけのことはしよう、と。まず夜はあまり残らないですぐ帰ろう、それが許されないような空気だったらそもそも私はそこで働けないんだろうから気にしてもしょうがないだろう、と。

家も遠いので定時に来るとなると毎朝7時起きなのですが、そのために早寝するようになり、おかげで大分生活リズムが正されました。

作業中の休憩

何故か初日無駄に体に疲れを感じてしまったので、それを改善しようと、意識的に休憩をいれるようにしました。周りがずっと作業しているように見えるからなかなかタイミングがつかめないけど、時計を見て「いま13:30だから15:00前くらいにコーヒーいれにいこう」って自分で決めたりとか。

課題の進め方

「redisが繋がらない!」と思ったらnode用のredisのパッケージをとってきただけでredis本体をインストールしてなかったり、「クッキーとれない!」と思ったらそもそもセッション管理をしてなかったりと、「そこが抜けてるんかい」って感じのコケ方をよくしていました。

あと、gitでソース管理してみたり。過去のコミットを参照することはあまりなかったですが、コミットを意識すると、一度に色々なところをいじってしまったりということがなく、ちゃんと手順を追った実装を自然と心がけることができますね。

それから本は全く読まず、とにかくググりました。しかしnode周辺はバージョンアップがかなり頻繁にされているので、数ヶ月前のブログ記事とかほぼアテになりませんし、確かなものは公式のドキュメントだけでした。

・・・進め方って書きましたが、どれも私が勝手にしたことで、まぁ普段のコーディングと同じノリで作業してたってだけです。

このあたりの技術的な話はまた別の機会でしたいなと思います。

情報公開

インターン中の情報をどこまで外に出していいのかっての、何も言われなかったので、自分から聞いたのですが、「ないんじゃない?プロジェクトの内容はお客さんに迷惑がかかるからだめだし、あと写真撮るときに社員のデスクが写っちゃまずいかな。それくらいだよ」とのことでした。なのでいつもと同じノリでtwitterしながら過ごしてました。

身近で社内の一日を見て

今まで会社に見学に来たことはあったけれど、実際にずっとプロジェクトの様子を見ていたわけではないので、それが観測できることはインターンのメリットだなと思いました。普通に社員さんたちと同じ場所に座っていたので、こまめなミーティングやお互いの声かけ、チケットの投げ合い(?)、電話対応など、全てが私には新鮮でした。

ちょうど私の席の周辺はプロジェクトが色んな意味でHotなことになっていたので、大変そうなところに来てしまって申し訳ないなとも思い、たとえ放置されても、むしろ放っておけないようなインターン生じゃ多分だめなんだし、それはよいことだ、と考えることにしました。

また、Hotなプロジェクトでも、決して必要以上の負荷をかけようとせず、息抜きもそれなりにしつつで、そこは私が抱いていたデスマの印象ほどひどくはなかったですね。

あと思ったより静かで、皆さん集中してるんですね、なんて言ったけれど、社内チャットってのがあるらしくて、わりとそこで会話することが多いみたい。ただ最近になって、インターンには社内チャットの利用をさせないという方針になったらしく、別にそれはいいんですけど、それが共有されてないから、社内チャットで言ってみたら、とか、社内チャットで言ってたじゃん、みたいな態度をされてしまうのは悲しいですね。

お昼ごはん

毎日誰かしらにお昼に連れて行ってもらいました。私はおなかがすくのが早いので12時になるとそわそわしだしてしまいます。今日はどこへ行けるかなぁ、食べているときもどんなお話が聞けるんだろうって、すごく楽しみでした。飲食店に入ると、周りはスーツや作業服を着た人ばかりで、これがいわゆる社会人の昼休みってやつか、って感じでした。

@tksさんの気遣い

@tksさんは初日にお湯の存在とかを含めたTipsをわざわざメールで送ってくれました。本当にお世話になったというか、twitterに「マドラーがない!」って言ったら場所を教えてくれたり、帰宅時間を気にかけてくれたり、twitterに「花粉が~」って言ったら窓を閉めてくれたり、他の社員さんに私のことを紹介してくれたり、よくお菓子をわけてくれたり・・・あの気遣いとそれを実施する優しさには感謝してもしきれません。

引越し

途中、オフィスの移転がありました。その新オフィスの特徴、公式サイトに「業務開始日に完成していない」というものがまず挙げられていました。そんなわけで初日来たときには「水はいいからまずインターネットだ!人間が死ぬ!」と何人かで騒ぎながらまずLANを配備し、それから水がないだの暖房がつかないだのやってました。そういえば結局それから最終日までずっと私の席の背後に大量の木材が積み上げられていたけれど、あれはなんだったのだろう。

競技プログラミング部

社内にレッドコーダーがいるという話で盛り上がり、チームラボ競技プログラミング部の発足がありました。そのレッドコーダーさんが、競技プログラミングとはなんぞや、というお話をしたり、AOJを使ってHello Worldのライブコーディングをして下さいました。プログラミングはやるけど競技プログラミングにはノータッチ、という人向けでしたね。

ものづくりのモチベーション

中間発表の際に、「なぜredisを使っているの?」と聞かれ、「そう指定されたからです」と答えたのですが、それに関して「言われたからやるっていうんじゃなくて、自分が何をやりたいかってのをちゃんと決めないといけないんだから、やりづらかったらそんな指示とか無視していいから」と言われました。それもそうなんですけど、私がやりたいのは多分、「作りたいものを考えて作る」ではなく、「求められているものに必要な機能を考えて作る」なのです。だから、チームラボみたいに、お客さんの求めているものがあって、それを解決するために何ができるかを一緒に考えて、っていう仕事のやり方に魅力を感じたのです。

作りたいもの作れって言われたらそもそもメッセンジャーとか別に私の作りたいものではないし、効率が悪いならそれはそれで「効率が悪かった」という結果が出ただけでもそれは成果だと思うし、これが完成を目的にした業務だったら話は別かもですが、あくまでこれは「インターンの課題」としてとらえようと思ったのです。

なお、インターン終了後に田村さんから聞いた話だと、「パッケージの一部に組み込みたいと思っていたものの調査」がこの課題の発端のようでした。

女帝祭

インターン最終日は、課題についての最終発表だったのですが、@tksさんが「せっかくだからフォロワーでチームラボに興味のある人とか呼んだら」と提案してくれました。そして当日はなんと私の発表&@tksさんの会社紹介セット、通称「女帝祭」が開催されることに。これ、社会人から学生まで平日の夜なのに外部から10名もの方が集まって下さって・・・本当にはわわでした。

ちなみにその際のスライドはこちらです。制作物のソースはここ(Github)で公開していて、インターン中の作業分がfirst commitになっています。

結末

さて、一応課題は最低限こなすことができたのですが、だからなんだという話。これからが就活本番です。チームラボもやっぱり行きたいという気持ちは変わらなかったので、もちろん選考を受けるつもりでした。インターン中、そこまで悪い印象は与えなかったはずですが、なんでも言うことを聞いていたわけでもないので、もしかしたら「こいつ合わないわ~」と思われていたこともあったかもしれません。でも、それはそれ。私は私らしくいることができたのだから、いいのです。

まぁひとまず打ち上げだな、そう思いながら自席の片付けをしていたとき・・・
田村さん「山下さん!」
私「あっはい」
田村さん「報告があります!」
私「はい?」
田村さん「内定です!」

えっ

私「やったー!就活オワター!」
思わず席を立ち上がり両手を挙げる私。
他の席の社員さんからの拍手。田村さんと握手をし、記念撮影。
そしてtwitterに報告。鳴り止まぬおめでとうリプライ。ありがとうありがとう。

後に人事の方から改めて連絡が来ました。課題に対して想像以上のアウトプットが出せていたらしいこと、多くの社員さまが私と働きたいとおっしゃって下さったこと、私のチームラボへの愛がひしひしと伝わってきたこと・・・そんなもろもろを踏まえた上での内定だと。なんという「これでよかったんだ」感。本当にありがたい。

ただ、就活は3月いっぱいまでやるつもりだと周囲に宣言していたので、そこはそのままでいきたいという旨をその場で伝えました。理由はまず、あとで「あぁ他のところも受ければよかったのかなぁ」とか思いたくないですし、一社だけでなく、色々なところを見てみたいなぁという気持ち。それと、昨今の就活の前倒しが私自身気に食わないという気持ち。早く始まって早く終わるんならいいんだけど、結局院生の場合だともう二年間のほとんどが就活になっちゃうとか、それは本末転倒すぎでしょう。まだ他社が面接とか始めてない時期にもらった内定で就活が終わるという現象が起こることで、「えっなんか先に内定出したところがあるからそっちに決まっちゃうのみんな・・・うちも早めなきゃじゃん・・・」とかなっちゃうんだと、ますます就活とやらの前倒しが起きるじゃないですか。ってまぁ私一人がどうしたところで全体がどうなるわけではないですが、少なくとも私は私の納得のいく行動をしたいのです。損かもだけど。

ちなみにこの女帝祭から内定までの流れはこちらにまとまっております。

謝辞

改めまして、インターン中お世話になった皆さまに御礼申し上げます。

紹介やその他面倒をみて下さった@tksさん、メンターの@dolpenさん、人事の藤井さん、CTOの田村さんをはじめ、仲良くしてくださった社員の皆さん、また女帝祭にいらして下さった皆さん、twitterで助言を下さった皆さん、直接私に声をかけることはなくとも見守ってくださった皆さん、あと絶対これ読んでないけど、夜にはおいしくて栄養バランスのとれた最高の食事を用意してくれていたお母さん。

本当に、ありがとうございました!

第53回プログラミング・シンポジウム 3日目

一人で朝食をとってまったりと迎える最終日。

セッション7

  • x86 JITコンパイラ上で任意コードを実行する方法」
    • バッファオーバーフロー攻撃の話とかも説明してくれた。タイトルがちょっと怖そうだけれど、セキュリティの対策においてセキュリティを突破しようとする試みは必要。
  • 「「新しいタイプの攻撃」への対策支援と,そのタスクスケジューリングの 手法を用いた並列分散処理化手法の提案」

合間、ビスケットの原田さまとお話させていただきました。娘さんがいらっしゃるそうで、私がいつからプログラミングやってるかとか、そういう話を。大学入ってからなので、5年目っすね。

セッション8

  • 「量子情報処理へ向けた表計算プログラミング」
    • リプライされて困っていた私のかわりに @earth2001y さんが「表計算でのシミュレーションで、量子情報処理のエッセンスを学習する」と説明して下さいました
  • 「人に安全なことを感じさせるUIに関する考察」
    • そういえば、なんで人がそれを安全と感じるのか、危険を警告されることによってどんな影響があるか、ってあまり考えたことがなかったなぁ、と思いました。

閉会

実は前日の夜の宴会中、 @hirosk さんに部屋の入り口に呼び出され、「ちょっとお願いしたいんだけど」と言われまして。まじ若手の会で二日目の夜の飲み会のときに呼びだされて幹事を頼まれたときのデジャヴでした。身構えてしまいましたが内容は「和田先生が今回で運営委員長を退任なさるので花束を渡したいのだが、それをサプライズで山下さんにやってもらいたい」とのこと。そんな大役を承ってしまった私は、事前に舞台裏で待機しており、ラストに花束を持って登場したのでした。和田先生、本当にお疲れ様でした。

その後、16人で毎年恒例となっているらしい蕎麦を食べに行きました。とてもおいしかったです。話題はずっと、なぞぷよの話。座布団とか階段とか、キャンセルとか、ちぎれ速度とか、"ぷるんっ"とか、知らないぷよワードをたくさん知れて面白かったです。そしてぷよぷよ標準化へ向けてのAPIの策定は果たして行われるのでしょうか。

三日間ありがとうございました。また色々な繋がりを作ることができて嬉しいです。

第53回プログラミング・シンポジウム 2日目

朝食をしっかりとって、早速会場へ。

セッション3

  • FPGA向け高位合成言語としてのJavaの活用手法の検討」
    • HDLを記述できるJavaのサブセット「JavaRock」。なんだか魔法のように思える。
    • 高位合成言語としてみたJava(スライドより抜粋)
      • クラスによるオブジェクト指向設計 : HWのモジュール設計との親和性が高そう
      • Threadやwait-forの仕組みがある : 言語仕様内で並列性の記述ができそう
      • 明示的なポインタを扱う必要がない : 言語の想定するメモリ構造から自由になれそう
      • 動的な振る舞いがたくさんある : ハードウェア化するのは厄介そう
  • 「Continuation based C の GCC 4.6 上の実装について」

セッション4

  • 「Backwards-Compatible, Efficient and Precise Datarace Detection for Multi-Threaded C Program」
    • オブジェクト共有におけるスレッドセーフとか・・・うーん、どうすれば問題が回避できるのかっていうのがちゃんとわかってないっぽい、私が。
  • 「CUDA将棋:GPGPUによる並列ゲーム木探索」
    • 「インターネット上で気になっている人がいるようなのでハッシュタグつけてどんどんつぶやいて下さい」と言われたのでフル稼働でtsudaり続けていました。
      • GPGPUについての説明、それからその応用(モンテカルロ問題など)。今回は並列ゲーム木探索に挑戦してみた。その報告でもある」
      • 「メカウーサーというコンピュータ将棋の大会に出場するも、弱い。将棋プログラムはalpha-beta(木の階層が自分と相手交互に現れる。それぞれのノードには評価値が付与。)探索を基準としており、次の着手を決めているものが多い。
      • 「alpha-beta探索によって自分と相手が最善を尽くした結果を知ることができるわけであるが、その値を計算するにあたって必要ない部分計算を枝刈る(beta cutoff)。この研究ではゲーム木を部分木に分解して並列に探索するYBWCをGPGPUで実装してみる。
      • 「並列とはいっても同期ポイントというものが存在していて、それぞれのノードにタイプが設定されており、各タイプには探索可能であるための制限が設定されている。このあたり文章だけだとうまくイメージできない…プロセッサ群全体に部分問題を行き渡す感じらしい。
      • 「プロセッサ間でやりとりするメッセージ群の紹介。計算を中止するとか、枝刈りとか。これによって計算の効率化をはかることができる。
      • 「将棋の前に小問題としてHexと呼ばれるゲームを実装してみた。Hexと将棋との違いは、可能手生成、評価関数など。CUDA将棋に向けて、並列可能手生成の実装や評価関数の並列実装、スピードアップなどが課題となる。
      • 「おまけ:人工無能メカウーサー @mechawooser

P社の @delta2323_ さまにお声かけいただきながら、昼食。

特別講演

  • 「ハッカーと医療」
    • 非常に面白かったのですが、どこまで書いていいのかよくわからない。
    • 私とか、多分会場では、「医療とハッカー」って言うと、「あぁ、情報科学の力を使って医療を支える話なんだな」って思うんだろうけど、確かに世間一般だと、「え…やっぱり医療現場にもハッカー(正確にはクラッカー)の魔の手が…?」とか思われるんだろうな。(twitter引用)

@sinya8282 さんに正規表現でSATを解くというところを説明してもらった。面白い。

セッション5

  • 「デュアルスタック電卓のプログラミング技法
  • 「デバッギングのためのベンチマークプログラム」
    • デバッグベンチマークする。独自のプログラムのデバッグ過程の提示では、恣意的で共通の比較基盤となりにくい。バグデータベースからの実例では、対象が複雑すぎるし、手法適用が困難。
    • そもそもバグってのは色々あって、ソースコードの「誤り」とその誤りにより動的に引き起こされる「発現」と。しかもそれらはm対n対応。
    • まずバグの出る状況を再現することが大事。それからそのための小さなプログラムを作って、仮説へと進んでいく。

トイレから帰ってきたら、周囲からパソコンのシールについて話しかけていただきました。こういうのは嬉しいですね。どうも多田Labシールを貼ったらという提案でしたが、残念ながらご本人は持参しておらずでした。

セッション6

  • 「soyText - プログラムとデータを一緒に同期してどこでも動くWebアプリケーションフレームワーク
    • 授業では、プログラミングと関係のないところで時間をとられてしまう。そこで環境をWeb上に用意。プログラム共有や指導者の環境セットアップの容易さがある。
    • しかし危険なコードを書かれてしまうことや、学習結果の分散という問題点もある。もっと安全・安心でありたい。
    • システムの「オフライン版」をダウンロード可能。オフライン版での変更点をWebサーバに反映可能。
  • 「文脈によるプログラミング言語処理系によるDSL基盤の試作」

夕食・風呂

女性の方、山口さんとお話できた!しかもどうやらICPC福岡にいらしていたらしい・・・!なんと!

夜セッション

  • 「実学としてのプログラミング」
    • 若手社会人の方々によるパネルセッションです。大学で学ぶ情報科学は、実際に仕事にどう関わっていくのか。
    • 私が最も印象に残った言葉「学部生は、勉強したことなんて、試験が終われば忘れちゃう。でもそれでいいんです。何か用語を聞いたときに、驚かないこと、それが大事。誰かに聞けばわかりそうだ、それでいい。四年間でそんな、わかるわけないんだから。」

自由討論

宴会ですね。まったりですけど。

確か @miyox さんに「twitterに書いてたMAX/Cって何ですか?」と聞いていただいて、MAX/Cのデモをしました。

MAX/Cは、当学科の学部一年生唯一のプログラミング実習で、C言語を学習します。毎回用意された問題を解くのですが、まぁローカルでプログラムを作ってもらって、それをブラウザからアップロードしてもらって自動採点(というか正誤判定)を行います。授業で用いているもので、最初は先生たちが作成したもので、現在は保守や改善をうちの研究室でやっていたりする感じですね。

これを勝手に紹介してきたわけです。VPN接続して。それから、問題生成や判定時の解析などの仕組みをわかる範囲で説明しました。正直、いつも「いやぁ授業で使ってるものですしどこまで外に出していいのか」とか言ってたんですが、なんかもうどうでもよくな・・・いや、なんかもうこれは外へ見せていった方がいいなって。知ってもらいたい、って。

明星大学の長先生という方が興味を持って下さり、お互いの大学の情報科学分野の教育についてたくさんお話しました。今日発表されていましたしぜひお話したいと思っていたので嬉しかったです。このとき、情報処理学会のコンピュータと教育研究会で発表しませんかと誘っていただきました。また先生に相談してみようっと。

あとは @_ko1 さんや @hayamiz さんと、研究についてのモヤモヤを・・・はい。気にせずやれよってのも、あるみたいですが。長先生は、「教育の研究での評価は、定量的じゃなくて、定性的です。たくさんの例があって、たくさんの結果がある。そこから考察していくんです。」とおっしゃっていた。・・・そうですよね。

また和田先生のお話を聞いてから、片付けして、眠りました。

第53回プログラミング・シンポジウム 1日目

プログラミング・シンポジウムは情報処理学会が主催するシンポジウムです。第53回となる今回は、湯河原の旅館に2012年1月6日~8日の、二泊三日のスケジュールで行われました。ちなみに参加者は多分94人。そして女性が多分6人です。

私は情報科学若手の会の次期(今期?)幹事の一人として、開催報告のため参加することになっていました。てっきり一緒に申し込まれているものと思ってしまっていたら、申し込まれておらず・・・締め切りを大幅に超過し、なんと振込みも済んでいない状態で参加させていただくことになりました。本当にプロシン幹事の方、また若手の会幹事の @takuho_kay さんにはご迷惑をおかけして申し訳なく思っております。また、ご対応ありがとうございました。

電車で湯河原駅へ、バスで会場へ。受付を済ませ、チェックインはまだらしいので会場へ。@earth2001yさんを見つけられたので、近くに着席しました。

セッション1

  • 機械学習を利用したパケットキャプチャによる消費電力推定手法」
    • パソコンの消費電力を予測したという需要がある。監視するのもいいけれど、そういう装置は高値なのでコスト的にあまりよろしくない。そこで、パケットキャプチャによって機械学習を利用して消費電力を予測してみる。
  • 「CPU使用率とメモリのプロセス間交換にもとづく動的なスループット向上手法」

合間で @nishio さんに「女帝の人ですか?」とお声をかけていただきました。そして「女帝っぽくないですね」「なんで女帝なんですか?」というお馴染みの言葉もいただきました。

@asanon_s さんにもお会いできました。 @takuho_kay さんは夕方に着くみたい。そして同部屋の女の子二人にご挨拶。更にI畑先生にもご挨拶しました。

セッション2

  • 「Flashメモリに最適化したDBM実装の提案」
  • SSDをディスクキャッシュとして用いるLinuxデバイスドライバの実装」
  • 「世代の概念を考慮したディスク書き込み追跡による高速なVM転送機構の提案」
    • VMを太陽が上がるデータセンターに常に配置する。つまりひまわりのように太陽を追うデータセンター。色々とシナリオが用意されていたので、そういうのは聞きやすかったし、実際にどのような状況が想定されているかがわかりやすくていいなと思った。

ポスターセッション紹介、報告・表彰

各ポスターセッションの紹介。飛び入り参加の方も何人かいらっしゃいました。それから夏のプロシンの報告、若手の会の報告、GPCCの報告、表彰。

若手の会の報告は、 @takuho_kay さんの無難な報告でした・・・が。
t「来年から新しく幹事として山下さん、あ、会場内にいるんですが・・・」
私「はっはい(挙手)」
t「立って立って」
私「はい!(ガタッ)よろしくお願いします!(ペコリ)」
t「彼女は"女帝"として有名で、twitter上でも人気を集めています」
会場(ざわ・・・ざわ・・・)
私(顔を覆って崩れ落ちる)
IRCチャットが「女帝w」「女帝・・・」「女帝なのか・・・」「女帝・・・」という文字で埋め尽くされていった。

夕食・ポスターセッション・GPCC

夕食前も、年配の方にまで「女帝だ女帝だ」と構っていただき、席でも「ほら女帝さまは臣下が勝手に貢いでくれるんでしょ」などとお馴染みのいじりをいただきます。

部屋で同室の女の子と腐趣味についてトークし、それから夜セッションへ。

ポスターセッションは混みあっててあまり見れなかったのですが・・・GPCC(Games and Puzzles Competitions on Computers)という催し物に参加しました。「女性が三人もいる・・・!」と驚愕されつつも、みんなで色んなゲームやパズルについて考えたり議論したりしました。

一番時間を割いたのが「王様くっつけゲーム」。先手が将棋版にブロックを置いていき、後手が二つの王将のどちらかを移動させていきます。王将が上下左右にくっついてしまうと王将の負けなので、先手はなるべく王将が動きにくくなるよう、計38のブロックで範囲を狭めていきます。

「女帝!女帝やれ!」と言われ私は一度後手をやりました。ほぼまぐれで勝ちました。でも多分これは先手に必勝法があるような感じ。むしろ38じゃなくても、より少ない数字で必ず勝つことができるのでは?そこが問題かも。

自由討論

という名の宴会。

@shnsk さんらとインカの秘宝?とかいうカードゲームをやりました。「行く」か「帰る」かの二択で進めていくだけなので、比較的わかりやすいし面白かったです。

それから研究についてのジレンマの話をしたら、中村先生という方を紹介していただきました。

また、岩崎先生という、当大学で集中講義を担当してくださってる方ともお話できました。名前はよく聞いていたのでびっくり。

0時からは和田先生のありがたいおはなし、「Factorial Stencil」を聞きました。平方剰余とか素数とかの話から、パンチカードの話まで。すごく丁寧に話してくれたので、面白く数学の話を聞くことができたと思います。

それから慌ててお風呂に入って寝ました。

私が発表の内容を理解できない、ということについての戯言

そもそも、話を理解するだけの予備知識がない。大学の学部の授業では、とてもではないが現状、いや数年前の状況ですら把握できない。新しい技術が、新しくなくなり、そして本になり、そこでようやく授業になる。その頃には研究の先端が遠い。当たり前だ。理解できても逆に困る、って言われた。